東武鉄道で鬼怒川&日光に行ってきた話2「6050系で日光へ!帰りはリバティ!」
次の日
がっつり10時間寝て、朝風呂にも入り、疲れを消し飛ばした私が向かったのは鬼怒川駅。
ここから日光に向かいます。
東武6050系のシートはこの広めでふかふかのボックスシートが特徴。
テーブルも備え付けていますので便利ですね。
2ドアでこのような純然たるボックスシートが並ぶ姿は、旧型客車を想像させられます。旅情があって素敵。
下今市で5分ほどの停車、方向転換の後に40分程で終点の東武日光に到着(13:37着)
ここからはバスで日光東照宮に向かいました。日光方面へは何度か行ったことがあるのですが、東照宮の内部に入るのには初めてなんです。
日光東照宮は、かの有名な徳川家康を「東照大権現」として神格化し祭っている神社で、元々は神仏習合という事で、仏教と神道が融合した神社でしたが、明治元年の神仏分離により神社と寺院の分立により、境内には輪王寺というお寺もあります。
こちらは、有名な「見ざる聞かざる言わざる」です。猿が最も有名ですが、境内には雀、竜など様々な動物が描かれています。
こちらも有名な陽明門。流石愛知出身という事もあってか(?)金ぴかで色鮮やかです。そのため、朝から日が暮れるまでずっと見ていても飽きないという事から「日暮御門」という別名があります。が、結構な数の方が数分で飽きていました。
平安京の有名な門の名前に由来を持ち、論語の一場面を現した絵図など古代中国の逸話を使ったり、徳川家康の博識ぶりがうかがえます。
奥社です。この奥に徳川家康公のお墓があります。時代と身分は違えど、同じ愛知出身。同郷の大先輩にしっかり参拝してきました。
因みに、徳川家光公も1636年に参拝しています。自分が本殿から奥社に歩いてきた道が、たった284年前(地質学者的感覚)に、かの家光公も歩かれたのかと思うとなかなか感慨深いものです。
さて、日光を後にして駅に向かいます。
その途中日光白根山を拝むことができました。Jpguでここのテフラについて研究している人の発表を聞いたことがあるので覚えていました。
確か、有史以降は6世紀・7世紀・12世紀・1649年の4回にわたり大規模な噴火を起こしているようで、それ以外にも何度か小規模噴火を起こしているようです。
御嶽山や霧島連山といい、日光白根といい、火を噴く山というのはやはり神聖に映ったようで火山の近くにはこうした大きな宗教的施設があるというのはなかなか面白いなと感じます。
さて、帰りは東武特急リバティに乗車します!
500系リバティ、このロボット的な(EVA的な?)感じがとてもかっこいいです。
車内も落ち着いた雰囲気の中に漂う高級感がいいですね。
でもやっぱり、スペーシアと比較すると座席の狭さが気になってしまいます。
リバティとスペーシアの比較は下の記事を参考にどうぞ。
リバティけごん40号(16:23 東武日光 発)
相変わらずなんですが、リバティ、なんと満席。
満席の列車は下今市(16:31)⇒新鹿沼(16:51)⇒栃木(17:06)と順調に飛ばしていきます。
そして、17:41 春日部着
お疲れ様でした。