東海汽船のジェット船で伊豆大島へ往復3900円でいった話 2「三原山」
この記事の続きです。
二日目。朝食は取らず、近所のスーパーで買った「大島牛乳」なる牛乳を飲む
元町港のバス停より朝一番のバスが三原山へ行くのでそれに乗り込む
今回使うのは大島バスの一日乗車券。2000円と相当高いが、大島みたいな観光地がある離島は経済が観光で成り立っているので仕方ない。
30分ほどで外輪山の山頂付近にある「三原山山頂口」のバス停に到着。
とうとうやってきた。伊豆大島の1986年の噴火の映像などを何度も見たことはあるけども、ついに自分の目で見ることができた。感動。
実は、山頂口から、三原山の山頂までは2~30分ほど歩いて、少し、登山をしなくてはいけない。
その途中の道は、一見すると、「溶岩で焼け野原になって少し経った殺風景な道」なのだが、目を凝らして植物たちに注目すると面白い事がある。
クロマツが結構生えている。このようなマツ科の樹木は、その根っこで外生菌根菌という菌と共生している。マツタケ(Tricholoma属)とかトリュフ(セイヨウショウロ)(Tuber属)とかもマツ科樹木と共生している菌の一種である。
菌はマツが光合成をして作る有機栄養分をもらい、マツに土壌中の無機栄養分を受け渡すお互いに利益がある相互共生関係になっている。
さらに
こちらはハンノキ属(Alnus)の一種。(ヤシャブシかな?温帯の広葉樹は詳しくないのですいません。)こちらは、放線菌であるフランキア属(Frankia)と共生している。
火山が噴火して(土壌学的に)間もないこの外輪山内部のような土地では、土壌がやせている(栄養分が少ない)。このような土地では、共生関係を築かない樹木よりも、マツのような菌と共生関係を築き、お互いに助け合っている樹木がまず先に入ってくるのだ。
また、ふと脇をみると
避難シェルターが(トーチカとも)。万が一噴火が起きた際に、木造の”軟な”建物では噴石で木端みじんになってしまうので頑丈にできてたりする。
三原山神社
なぜか、噴火の被害を受けない神社。
三原山神社を越えると舗装されていない道を進むことになるので、履く靴には気を付けた方がよさげ。
三原山神社から歩くこと30分。火口を見渡すことのできるポイントに到着。
この迫力は写真でも伝わらないけど、とにかく凄いの一言に尽きる。因みに、この火口は過去の文献より、時々、マグマの池を形成していたそうな。
参考文献
因みに、この火口の地下5kmには小さなマグマだまりが、8~10kmにはこの三原山にマグマを供給する大きなマグマだまりがある。そして、そこからいつマグマが供給され始めてもおかしくない状況なのが三原山の現在。
参考文献
現在は、噴火の中期予測などもかなり進歩していて、重力のわずかな変化や火口内の二酸化炭素濃度の変化、外輪山や三原山の沈降などから予測が試みられている。
山の斜面の至る所から、湯気が出ている。風向きの関係で登山道側にも湯気が伸びてきて生きている火山、三原山のぬくもりを感じた。。。
新火口。1986年に裂けてマグマが噴出したのはこちら側。
火口の周りをぐるっと歩くお鉢巡り(2時間ちょいぐらい)をして外輪山のバス停に戻る。カルデラ内部から三原山を望むと、綺麗に1986年に流出した溶岩が確認できた。
因みに、三原山はもともとは今よりも大きな火山であったが、、1700年前と1500年前の巨大噴火により、もともとの火山の山頂部が吹き飛び、現在のカルデラが誕生した。
そして1700年代の噴火でカルデラの中央部が盛り上がり、三原山となった。
という歴史がある。阿蘇山や箱根山、鬼界カルデラほどではないけどね。あれらは日本滅亡レベルの子達だし。
さて、外輪山に戻ってきました。
バス停の反対側からは綺麗な景色を見ることができる。
伊豆大島の路線バス観光はその日の東海汽船の入出港に左右されていて、三原山山頂発の便は岡田港入港の日は岡田港。元町の時は元町に向かいます。当日の朝6時にならないとわからない。
この日の東海汽船の入出港は岡田港なので、岡田港にバスで向かいます。
オオシマザクラ(Cerasus speciosa (Koidz.) H.Ohba)が綺麗
岡田港ではあらかじめ目星をつけていた食堂へ
さばソースカツ丼(700円)をいただく
あじフライが好きな人は絶対好きな味だと思うけど、愛知県出身の自身にはソースの味が薄く感じた。
午後は島の南側の波浮港へ向かいます。
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